伊豆八十八ヶ所遍路 一日目

トレッキング記録

こんにちは。小雨降る4月27日、伊豆八十八ヶ所霊場のお遍路を始めました。八十八ヶ所には全て番号がついていて、その順に回ることを「順打ち」、八十八番目から番号を遡って回ることを「逆打ち」と呼ぶそうです。またすべての霊場を一遍に回ることを「通し打ち」、区間を区切って何回かに分けて歩くことを「区切り打ち」と言います。私は伊豆八十八ヶ所を「順打ち」で「区切り打ち」にすることにしましたが、回り方は人それぞれで良いそうですよ。

毎回、最初のお寺には公共交通機関で行き、一日の最後に切り上げた場所から帰路について、次の回は前回戻った駅を経由して回る予定です。全行程や準備編はこちらを参照してくださいね。

第一日目は、一番札所から五番札所までを巡礼してきました。

一番札所 嶺松院(れいしょういん)

修善寺駅から湯ヶ島行きバスに乗り、20分ほど乗って田沢口バス停で下車。そこから徒歩で700mほどです。嶺松院は、弘法大師がいらしたときに、多くの村人が難病で苦しむ姿を見て、薬師三尊を勧請されたと伝えられているそうです。今日はあいにくの小雨でしたが、紅葉と緑とのコントラストがとても綺麗なお寺でした。

第一番札所の嶺松寺から第二番札所の弘道寺までは、のどかな川沿いに約3kmで徒歩45分ほどですが、雨が少し強くなってきたので、速足で歩き、35分ほどで到着しました。

こんな風景を見ながら歩きます。

嶺松寺から20分ほど歩いたところに明徳寺というお寺があり、その中に大変珍しい仏様のうすさま明王を祀っているお堂があります。うすさまはトイレの神様なのだそうです。堂内は、いわゆる秘宝館のような不思議な様相ですが、ご興味ある方はぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

上の家は、しろばんばで有名な井上靖さんのお母様の実家だそうです。この他にも、しろばんばに出てくる場面となった小道もこの後にありますので、次の二番札所まで飽きることなく歩けますよ。

二番札所 弘道寺(こうどうじ)

上の家の方から歩いていくと、弘道寺がこんな風に見えてきます。このお寺には、黒船来航の際に日本駐在の初代米国総領事のタウンゼント・ハリスさんご一行が下田から江戸幕府へ向かう途中で宿泊をしたそうです。ハリス総領事は下田から天城越えをしてきたそうですから、昔の方々は健脚ですね。

第二番霊場の木版があります。

こちらにはご住職さんがいらして、納経帳に御朱印を押していただきました。

弘道寺を出ると、この後は少々難所となります。三番札所の最勝院までは14km、3時間超の道のりです。筏場のわさび田が途中にありますので、そちらに立ち寄って休憩します。

6.5キロを1時間半ほどで歩き、わさび田に到着です。途中は結構山深く、薄暗い杉並木を延々と歩きます。

こんな道です。距離は長いし杉の木がうっそうと茂って暗いし、へこたれそうになりました…(涙)でもこのお遍路を多くの方が歩いたであろう江戸時代はもっと暗くて悪路だったはずですよね。しかも草履でしょうし、さぞ大変な旅であっただろうと想像します。

わさび田からは明るい道になりますので、嬉しくなって歩きます。わさび田から3kmほどのところに貴僧坊水神社という神社がありました。神社の奥にゲートがあって、そこを開けてわさび田に入ります。私もちょっとだけ寄って湧き水を飲ませていただきました。冷たくてとってもおいしかったです。

三番札所 最勝院(さいしょういん)

残りの7.5kmを歩いて、ようやく辿り着いた最勝院。ここは鎌倉の上杉憲清が、真言宗の西勝寺廃寺を再興して建立したもの。庭園が広く綺麗に整備されていました。池にかかる石橋は滑りやすいので転ばないように注意が必要です。

次の四番札所 城富院までは、3.4km、およそ45分の道のりです。

四番札所 城富院 (じょうふいん)

最勝院 七世笑山によって開かれたお寺で、北条氏五代の祈願所だったそうです。門の紅葉が風情たっぷりでした。

さて四番札所の最勝院まででスタートから5時間半、距離にして25km近く歩いたので、足の裏が痛くなってきました。今日は次の玉洞院まで行って終了にします。

五番札所 玉洞院 (ぎょくどういん)

最勝院十世 香山宗清によって改宗し曹洞宗になった寺院です。お寺には16時までにいかないと、納経帳に御朱印を押していただける可能性が低くなりますが、こちらは16時を少々すぎてしまいましたが、御朱印をいただくことができました。

最寄りの牧之郷駅から帰路につきます。各お寺のご住職さま、大変お世話になりました!

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