伊豆八十八ヶ所遍路 二日目

トレッキング記録

5月初旬の新緑が色鮮やかな伊豆で、八十八ヶ所遍路の第二日目です。前回の小雨とは打って替わり、最高のお遍路日和となりました。お寺とお寺の間隔が短かったので、一日目よりも多く巡礼でき、六番札所から十三番札所まで巡礼してきました。

六番札所 金剛寺 (こんごうじ)

修善寺駅からバスに乗り、ニュータウン入り口行きに乗り、終点で降りて寺を目指し歩き始めましたが、Google Mapで示された小道はコロナ渦の最中に閉鎖してしまったようで、立ち入りできませんでした。通りかかった車に乗っていた年配の女性に金剛寺に、徒歩でいける近いルートを尋ねたのですが、恐らくないだろうとのこと。その場合は国道を迂回して1時間半はかかるだろうと。駅に戻るバスは暫くないですし、かなり焦りました。ただ有難いことに、この女性が親切に山田川沿いの石原町集会所まで送ってくださり、そこからの歩き出しとなりましたので、タイムロスは20分程度で済みました。金剛寺へ公共交通機関を使って行く場合は、1時間強の道のりにはなりますが大仁駅から歩いた方がよさそうです。石原町集会所から歩いたところ、45分ほどで到着しました。

金剛寺に関連して、伊豆霊場の歴史をご紹介しますね。伊豆の霊場は昭和に入って衰退してしまい、現在では住職さんが住んでいないお寺も多いそうです。霊場に関する資料はあまり多くなく、それは納経帳を棺桶に入れてしまうのことも一つの要因のようです。昭和40年代になって、伊東市に在住する田上東平氏が伊豆霊場の二十八番札所大江院に納経帳を発見し、昭和50年に伊豆霊場振興会を設立して伊豆霊場の復興を始めました。田上氏が調査していくと、六番札所の金剛寺で、明治22年の日付が入った木版が発見されたそうです。当時の札所と現在の札所ではお寺が数か所違うようですが、いつどのように入れ替わったのかは不明です。

金剛寺は、海真という僧が創立した寺院です。住職さんは常駐していないようで、屋根に枯れ葉が積もっていたりと、手があまり入っていないようでした。

予定より少し遅れていますので、早々に七番札所をめざします。次の泉龍寺までは約2km、20分ほどです。

こんな景色を見ながら歩いていきます。雉(きじ)も見かけました。気候が素晴らしく、朝のすがすがしい空気とともに気分があがってきます。

七番札所 泉龍寺 (せんりゅうじ)

もともとは真言宗の寺院だった玉泉寺を日山白という曹洞宗の僧が復興した寺院です。

寝釈迦さまもいらっしゃいます。

八番札所の益山寺までは、4kmほどで1時間強の行程となります。

八番札所 益山寺 (ましやまでら)

弘法大師の開創と伝えられ、本尊の千手観音像は弘法大師の作と言われています。和尚さんは常駐していらっしゃらないそうなのですが、今日はお掃除のためにいらしており、運の良いことに直接御朱印をいただけました。サンスクリット語の意味なども丁寧に説明してくれました。

立派な神木と伊豆駿河横断観音霊場の石仏があります。

次の澄楽寺までは、6.4km、徒歩1時間半の行程です。

九番札所 澄楽寺 (ちょうらくじ)

791年に弘法大師によって開創されたと伝えられているものの、同年には弘法大師はまだ出家していなかったそうです。

さて十番札所の藏春院までは、約3km、45分の行程です。

十番札所 蔵春院 (ぞうしゅんいん)

このお寺は宗能禅師が建立したとされていますが、自らは開山を称せずに本師であった大綱明宗を勧請して開山とし、後を実山永秀に託しました。宗能禅師は最乗寺に普住して、最乗寺の五世となりました。

山門の前に多数の石仏が並んでいます。

次の長源寺までは、4.5km、約1時間の行程となります。

十一番札 長源寺(ちょうげんじ)

もともとは真言宗の寺院であった。韮山城主の北条早雲が石雲院の虚庵玄充を住職に招いたので、石雲院末の寺でしたが、虚庵玄充が修善寺に二世として普住したため、修善寺末の寺となりました。お寺には、便所の神様として知られる鳥趨沙摩明王が祀られています。

長源寺の住職さんは、これまでの行程をねぎらってくれまして、長源寺印の焼菓子をくださいました。お腹がすいていましたので、お寺の隅に座らせてもらって、早速いただきました。和尚さんご馳走様でした。

歩き出すと突如富士山がこんな風に見えてきました。この巡礼で嬉しいのは、思わぬところに富士山が現れることです。富士山が急に現れると、思わず「お〜」と一人ごちてしまいます。

十二番札所 長温寺(ちょうおんじ)

僧侶瓶山によって寺として開創。のちに微衰していた際に梅原源左衛門が再興して、真珠院九世の柳岩玄xを請して開山とし曹洞宗となりました。

さて今日は最後の巡礼となる北條寺までは、4.3km、1時間弱の行程となります。

十三番札所 北條寺(ほうじょうじ)

鎌倉幕府創立に功労があった北條時政の子息である義時が創建した寺院です。義時の嫡子(安千代)が大蛇に襲われ命を失ったとき、北条寺を墓所として七堂伽藍を建立し、仏殿の本尊を運慶(鎌倉時代お仏師)に明治作らせたとのことです。

到着が16時を過ぎてしまい、ご住職さんがご不在で残念ながら納経帳に御朱印がいただけませんでした。ここから歩いて30分ほどの韮山駅から帰路につきました。明日も巡礼を続けます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました